甘口辛口

佐世保高女生徒の内面

2014/8/1(金) 午前 9:03
佐世保高女生徒の内面

佐世保高女生徒が同級生を惨殺したとき、マスコミはこぞって彼女にとって唯一と言ってもよい親しい友人を殺した心理が分からないと疑問の声を上げた。だが、愚老は、格別、これを不思議とは思わなかった。耐え難い怒りに襲われたとき、その感情を自分にとって最も親しい人間にぶつけることは、よくあることだからである。

思い出すのは、静岡県の女子高校生が、入院中の母親を見舞いに行って、相手に少しずつ毒を飲ませ殺害しようとした事件だ。この時にも、この母娘の間には深刻な対立関係はなかったと記憶している。娘は何かイヤなことがあったから、その腹いせにいちばん身近にいた母に毒を飲ませたのだ。

それにしても、無辜の相手を惨殺したり、毒殺しようとしたりするのは、ひどすぎはしないか。

いや、これもある種の生徒や学生にありがちな行動で、それほど異常なことではないのである。その「ある種の生徒や学生」が何者かと言えば、際だって頭のいい優等生なのである。

新聞などで外国の生徒や学生の企てた犯罪に関する記事を読んでいると、そうした事例がよく目につくのだ。例えば、愚老はアメリカの学業優秀な大学生二人が、殺人を楽しむために手当たり次第に未知の人間を殺害したというようなニュースを目にしたことがあるし、と思えば、イギリスの少年が何の罪もない幼児に害を加え続けたという記事を読んだこともある。

今回の佐世保高女生徒も、学業成績は優秀だったらしい。週刊誌によると、同級生は彼女についてこういっているという。

「ガリ勉タイプではなかったのに、テストはほとんど満点。ものすごく頭のいい子でした」

彼女が優秀なのは、学業だけではなかった。ピアノや絵もうまく、何度も賞状を獲得していたし、スポーツでもスケートで全国大会に出場している。中学校時代には、弁論大会にも、英語弁論大会にも弁士として出場していて、英語弁論大会では、冒頭にこう切り出して全校生徒の度肝を抜いている。

「マイ・ファーザー・イズ・エイリアン」

彼女が優秀なのは、両親のすぐれた血を受けているからであった。父は早大卒の弁護士で、いずれ佐世保市長選挙に出馬する人物だと見られていたし、東大卒の母は市の教育委員をしたり、女性問題や育児に関するNPO法人を立ち上げたりしていた。

注目すべきは、この母親の存在で、彼女は高校生の頃、夫と同級だったが、夫をして「妻はオレよりは上、とても勝てない」と言わしめている。夫の友人も、こういっているという。

「あの一家は、奥さんが出来すぎていて、父親もまた彼女の子供のようだった」

その一家の中心だった母親が、膵臓がんのため昨年の秋に急逝してから一切が狂いはじめたのだ、父親や娘にとって心の支えであり、暴走する娘に対してブレーキの役割を果たしていた母親が不意にいなくなったのである。

努力しなくてもテストの度に満点が取れるような頭のいい人間は、努力をしても平均点しか取れない凡庸な仲間を内心で軽侮している。この高慢な感情が増悪した場合には、まわりの人々を人間として見ることを止めて、虫けらか動物を眺めるような目になる。問題の佐世保高女生徒は、カエルや猫を解剖しているうちに、人を解剖してみたいと思うようになった。彼女からすれば、もともと、並の人間はカエルや猫と変わりのない存在だったのだから、次は人間を解剖してみたいと思ったとしても何の不思議もないのである。

そのカエルや猫と変わりのない同級生が、小学校時代に教室で彼女の発表の間違いを指摘したり、彼女の勉強の仕方を非難したのだから、彼女は激怒した。彼女は怒りに駆られて相手の給食の中に異物を混入するという挙に出てしまう。この件が公になったとき、弁護士の父親は娘の非を認めず、学校の指導が間違っているといい張ったが、母親は娘に謝罪させ、自らも被害生徒の家を訪ねて土下座して詫びたという。

そういう母親が亡くなって、一周忌もたたないうちに父親が若い妻を娶ったのだから、娘の怒りは歯止めがきかなくなった。彼女は金属バットを振るって殴りかかり、父親に重傷を負わせている。エリート学生の心には、大衆蔑視という基層があるから、自分がその大衆から侮辱されたと感じたときの怒りは凄まじいものになるのだ。

だが、人々への復讐を考える場合、相手を選ぶに当たってどうしても強うそうな相手を避けてしまう。そうした臆病な面を持っているため、何かに腹を立てたとき、気心の知れた親しい人間を選んで怒りを爆発させるというような筋違いなことをしてしまうのだ。

エリート作家三島由紀夫も、「鏡子の家」が世に認められなかった時に怒り狂った。三島は大島渚との対談で、「鏡子の家」発表後の文壇の反応について「その時の文壇の冷たさってなかったですよ」と語り、「それから狂っちゃったんでしょうね、きっと」とうち明けている。事実、この頃から三島由紀夫狂乱がはじまるのである。彼は癇癪を起こした子供のように、こんな日本は滅んでしまえばいいと「挙兵」するのだが、佐世保高女生徒による惨劇もこれに類する絶望感から発しているように思われる。

佐世保高女生徒が立ち直るためには、その心の基層にある大衆蔑視の感情を解消し、外部に向けていた攻撃エネルギーを自分自身に振り向けなければならないだろう。つまり、彼女には反省と自己分析・自己呵責が必要なのだ。そして、この態度転換は、安倍晋三首相以下の右翼にも求められている。彼らは中国・韓国が軍備を増強して日本攻撃の準備を整えていると非難するが、中国・韓国を侵略したのはわが国だったのだから、日本は他を責める前に、まず、自らを強く呵責し、反省を重ねなければならないのだ。

エリートは、攻撃エネルギーの方向を切り替えさえすれば、完全に立ち直ることが出来るから、罪を償った後には再犯の恐れはないという。これが今回の事件に関連して感じられる唯一の救いである。