甘口辛口

自己施肥系の男とその妻(1)

2014/8/16(土) 午後 1:39
自己施肥系の男とその妻

このブログに「誰も愛さなかった男と女(https://amidado.jpn.org/kaze/home/love.html)」という文章をアップしたことがある。これは、哲学者中島義道の「ひとを愛することが出来ない」という本の読後感を綴ったものだ、この本がなぜ面白かったかと言えば、自己充足して他者の愛情を必要としない男と愛を求める女が結婚したらどうなるか、それが事細かに描かれていたからだった。

著者は、私小説の作家が自身の家庭の秘部をあからさまに記すように、著者自身の父と母の関係を俎上にのせて、その悲惨な夫婦関係をありのままに書き上げている。その仮借のない筆致の一部を紹介すれば、こんな具合なのだ。

<父は、浮気をすることなどまず考えられない男である。妻子に手を上げることも怒鳴ることもない。給料はすべて完全に妻に渡す。仕事は早々と切り上げて帰宅し、妻の手料理をうまそうに食べ、妻に対して何の文句も言わず、しかも彼ひとりそこにいるという明晰な印象を与える。その日一日外で起こったことは何も語らず、母の話を聞いている素振りは見せるが、何の興味ももたないことは明らかで、ただ黙々と食べている。いや、父は母の顔さえまともに見ていない(『ひとを愛することができない』)>。

つまり、著者の父親は自己施肥系の人間で、静かに独り立つ樹木のような人間だったのである。樹木は自分が必要とする肥料を、年毎に足下に散らす落ち葉から得ている。それで「自己施肥系の生体」と呼ばれるのだが、中島の父も自分の必要とする精神的栄養素を自らの手で調達しているから、他者の愛がなくても生きて行けるのであった。

<母は父が最も大切にしているものを嫌った。父がそれを大切にする素振りをはげしく嫌悪し、断罪した。それは、第一に父の命であり健康であり、第二に父の仕事である。母は父が自分の健康を気づかうと、眼をつりあげてはげしく攻撃した。風邪気味でマスクをしていても、「具合がよくない」とぼそっと呟いても、次の瞬間に
「あなたは自分しか大事じゃないんだから! 妻や子がどんな状態にあっても気がつかない自分勝手な人間なんだから! そうやって、自分だけ九十までも生きるんだから」という叫び声が家中に響きわたった。そして、若いころからジーゼルエンジンに凝って、仲間と会社を設立して失敗に失敗を重ねたことを何度も責めたて、「ジーゼルエンジンが妻より子供より大事なんだからー」と繰り返し言った>

母親は、何が何でも夫に復讐してやらなければという執念に取り憑かれていた。彼女は、夫に向かって口癖のように、「あなたには、妻なんか必要ないのよ。女中か看護婦がいれば十分なのよ」と言っていた。

母親の罵倒は、実際、留まるところを知らなかった。

「ちっとも男らしくなくて、鈍くて、趣味なんか何もなくて、自分だけよければいいんだから」

「ちびで、頭でっかちで、毛がなくて、なまっ白くて、首が短くて・・・・」

怒りで暴走し始めると、母親の全身は小刻みに震え始め、形相が変わるのだ。晩年になると、母の怒りは狂気すれすれのところまで行った。彼女は父の愛を求め、それが得られなかったために軽い狂気に取り憑かれるようになったのであった。

──さて、以上の記事は5,6年前に愚老のアップした記事を簡単に紹介したものなのだが、最近、中島義道の「<嫌う>ということ」という本を読んでいたら、驚くような文章にぶつかったのである。

<先ほどちょっと触れたように、私はここ一年ほど妻と息子から非常に嫌われておりますが、それは複雑怪奇な原因がありながらも、究極的には私がふたりに優しくしなかったからです>

あれれ、何ということだろう、中島義道は、以前に批判していた父親と同じように、自らの妻と息子に嫌われているというのだ・・・・。つづけて読んでいくと、こんな文章が出てきた。

<私はホテルに追放された後に、妻や息子にファックスで毎日謝りつづけましたが、ふたりとも絶対に許してくれず、そのたびに妻から「愛のない人とは一緒に住めません」あるいは「あなたの言葉にはまったく誠意がありません」という返事が来るだけ。息子は「ママあいつにだまされるなよ」と言いながら、私のファックスをくしやくしやに丸めて捨てるということを知りました。私は真冬の外国で自分が崩れてしまわないために、ある時を境に謝ることをやめた。今は何をしても駄目だ、さしあたりあと二〇年ほど待とうという結論に至りました。いや、今では、今後ずっと息子に嫌われてそのまま私が死んでいっても、しかたないかなあと思います。それが私の人生であれば、それを受け止めるほかはないんですから>。

中島義道は、自分が妻と息子から「非常に嫌われている」という、だが、彼の本を読んでいる者には、その原因がさっぱり掴めないのだ。そのことについて彼は、「先ほどちょっと触れたように」と前置きして読者にはあらかじめ予告してあるような言い方をしているけれども、こちらには思い当たる節が一向にないのである。

彼は妻子に嫌われるようになったのには、「複雑怪奇な原因がある」と書いている。一体、その「複雑怪奇な原因」とは何だろう。

物好きな愚老は、それについて明らかにすべく中島義道の本を何冊かインターネットで注文してみた。まだ、それらの全部に目を通した訳ではないけれども、「マイナスのナルシスの告白」という本の中に、当方の疑問に対する回答らしきものがあることが分かったのだ。

(つづく)