甘口辛口

「依存症者」の人生(1)

2015/4/30(木) 午後 9:56
「依存症者」の人生

月乃光司の「心晴れたり曇ったり」を読んで興味をそそられたので、月乃光司と西原理恵子の対談集「おサケについてのまじめな話」という本を追加注文した。この二つの本には、依存症者、特にアルコール依存症者の心理と人生がリアルに表現されていて、大変に参考になった。「普通の人間」も少し間違ったら「依存症者」になる萌芽を持っているのだから。

まず、月乃光司の語る経歴から見て行こう。

 <三人姉弟の末っ子だったわたしは、とても大事に育てられた。小学生のころは、家族だけでなく、学校でも近所でも「かわいい坊や」ともてはやされていた。勉強もそれなりにできたし、親にとっては理想的な子どもだったと思う。中学生までは社交的で友だちも多かった。

父親は会社員としては成功したエリートだった。(私が)入院や治療を受けられたのも、父のおかげで、経済的には不自由しなかったからである。たまに帰ってくると決まって、高卒と大卒では将来どれだけ給料格差が出るかをグラフに書きながら、これから歩むべき理想の進路を示すのだった。

幼少期から中学生までのわたしには、かわいらしくあるべき、将来はこうあるべきといった周りの期待に応えなければならないという強迫観念がいつもつきまとっていた>

こうして順調に滑り出した人生が、何処で、どのようにして狂いはじめたのだろうか。

月乃が酒を飲み始めたのは十九歳のときだった。彼は初めて酒を飲んだとき、こんなに開放的な気分になってリラックスできる、おいしいものがあるんだなぁと感心してしまった。彼は高校生のころから対人恐怖症の傾向があって、人とのコミュニケーションがうまくとれず、登校拒否をしたりしていたのだ。

月乃は、人と話すのがおっくうなくせに、相手からはよく思われたいという自意識が強かったのである。一人暮らしを始めてからも引きこもりがちで、憂うつなことばかり考えてしまう。一浪して埼玉の大学に入学したものの登校したのは二、三日だけだった。このままでは自分の人生は真っ暗になると思い、彼は勇気を出して精神科を受診することになる。

病院では、神経症のひとつ、醜形恐怖と視線恐怖と診断された。容姿コンプレックスからくる対人恐怖症で、彼は自分の分厚い唇や容姿が気なって仕方がなかったのである。自分が他人にどう見られているか想像すると、態度が不自然になり、初対面の相手や女性と会うときはさらに緊張が増す。その緊張を押さえようとして酒を飲んだときから、人と会うとき、酒は欠かせないものとなっていった。
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(月乃は、精神科で処方された抗うつ剤を服用しながら、酒を飲むことを続けたが、後で知ったところによると、     抗うつ剤と酒を同時に服用する と、病気の進行を早めるのだった)

体内に四六時中アルコールが入っているのが通常の状態になると、酒が切れたときが異常事態になる。酒が切れる、つまり離脱状態になると、手の震え、イライラ、発汗、幻覚、幻聴といった症状が出てきて、いても立ってもいられない。酒を飲まずにはいられなくなる。そうした症状は酒を飲むと、びたりと治まり、気持ちも落ち着くのである。だが、酔いが覚めると離脱症状が出てまた飲み始める。その繰り返し。この悪循環に陥ると、正常な状態に戻ることはかなり難しくなる。

月乃の飲み方は次第に常軌を逸していった。部屋に持ち込んだビールケースの酒をいっきに全部飲んでしまうのである。一本飲んだら、すぐに次のビールの栓を抜いて飲む。飲んでも飲んでもとまらない。やめることが出来ない。やがて幻聴と幻覚がはじまり、鳥が首に噛みついてくる、虫が身体を這い回り、ラジオやテレビをつけていないのに音楽がリフレインで鳴り続ける。

そして、ついに感情の制御もできなくなった。

(つづく)